ちぇんじRevolution #4

第四章【仮初の織女星】

奏が攫われてから数日が経った。
その日は朝早くから、ベガの宮殿に数人の星の精が集まっていた。
「……」
「どうだ、セレス。何か見えてきたか……?」
振り袖を身にまとった少女に語りかけるのは、太陽神シリウス。
「セレス」と呼ばれたその少女は、水星の星の精。目の前に展開した水鏡に意識と呪力を集中させ、何かを探っているようであった。
「うっすらと何か見えてきてはいるんだけど、とても強い念に邪魔されてはっきりとは……場所は多分、アルタイル……何か、神殿……?宮殿のような建物が、ぼんやりと……」
セレスが水星の星の精として扱うことができる力は、主に水と鏡。悠に攫われた奏の行方を追う為に、得意の水鏡の術でその場所を探っていた。しかし、何やら強い力に阻まれ、こちらの力が普段の半分以下に押し負けてしまっているというのだ。
セレスが水鏡でなんとか確認することができた内容を伝えると、クレスは腕を組んで唸っている。
「アルタイルは神殿のような建物が多いから、特定は難しいか……」
万事休すか、と思ったが、凪はふと何か閃いたように声をあげた。
「いえ、待って下さい。奏君を攫った者は自らを「牽牛星」と名乗っていたというのなら……アルタイル星の精の宮殿かもしれません。今はそこには誰もいないのですが……もし、牽牛星が顕現したのであれば……!」
「行ってみる価値はありそうだね」
凪の話に同調するように、紅袮も頷いた。
「とっ捕まえて、事情を洗いざらい吐き出してもらいましょう。私達には知らないことが多すぎます」
「凪にも知らないことってあるんだな」
息巻く凪に、星は意外そうに呟いた。
凪は幼い頃から勉強家でとても博識であり、宮殿の書斎には数多くの歴史書の類が詰め込まれている。凪に尋ねればこの世の大抵のことはわかるのだが、その凪が珍しくそんなことを言うのだ。
「……以前、天帝に聞かされたアルタイルの意思が生まれたことの由来……それに関係しているのかもしれないですが、それについては史料がほとんど残されていないので、当時何があったのか、詳しいことは全くわからないのです」
アルタイルの意思とは、アルタイルの妖精長の血族が先祖代々から継いでいる力であり、アルタイルの星の源でもある力だ。
その実態は蘇生術であるのだが、ただの蘇生術を違う点は、アルタイルの意思は魔力から発動できる妖精術の類ではなく、星の精が扱う呪力の力をもって発動する呪術であるということ。故に妖精術を使えば使うほど弱体化してしまう。
凪は妖精長としてアルタイルの意思を継いではいるが、彼が主に使うのは妖精術。アルタイルの星の源であるコアは凪の胎内に存在していて星を守るために常に力を働かせてはいるのだが、蘇生術を扱う力はもうほとんど残っていない。
逆に、彼の妹であり、蘇芳の母親である「海」という女性は妖精術を扱うことが苦手で、その為に強い蘇生術を使うことができた。
そしてその子である蘇芳は、妖精術も蘇生術も同等に扱うことができる特異性を持って生まれた。これが本来の「アルタイルの意思」の力なのである。
この場合、妖精術の魔力の影響を受けた呪力が蘇生の力を強大にし、凪ほどの強さまで魔力が成長すれば、蘇生の力は新たな力に変わる。
それが「真の蘇生術」である。
真の蘇生術は生命を蘇生するだけでなく、この世に存在する全てのモノを「存在していなかった時に蘇らせる」ことができる、シリウスにしか扱うことのできない「時」の力に触れる禁忌の力であった。
かつてブレウスは蘇芳のその力に目をつけ、黒帝を封印している天帝の封印術を封印する前の状態に蘇らせ、黒帝を復活させようと企てていたのだ。
この真の蘇生術を扱うことができる素質を持っているのは現在は蘇芳と、ブレウスの遺伝子実験で蘇芳の遺伝子を丸々コピーして誕生した紅袮の二人のみ。
そしてこの力を創ったのは、天帝の話によると初代アルタイル星の精──牽牛星だったというのだ。
その話を聞かされた凪は、初代アルタイル星の精が何故この力を創るに至ったのか、それを調べようとした。しかし、国中の、それこそ先祖が遺した古い文献を全てひっくり返しても、その由来にたどり着くことはできなかった。
初代アルタイル星の精が存在していたということまではわかっているのだが、彼が何故その力を創ったのかということだけでなく、何故消失してしまったのか、それすらどの文献にも残されていないのだ。
故に、凪は悠がその辺りの事情を何か知っているとみて、全て話してもらおうと考えているのである。
「とりあえず、奏を助け出してついでに悠って奴も捕まえればいいわけだな!早速アルタイルに行こうぜ!」
星の言葉に皆が頷くと、皆の背後から一人の声が聞こえた。
「……俺も行く……!」
そこには、少し前まで風邪で臥せっていた馨が立っていた。
「あんた病み上がりでしょ、もう少し休んでた方が良いわよ…!」
「薬のお陰でだいぶよくなったんだ。それに……奏が心配なんだ、早く助けにいかないといけない気がする……!なあ、頼む、凪!」
杏に止められるが、馨はもう絶対にその場から動こうとしなかった。恐らく、皆が良いと言うまでずっと粘るつもりだろう。凪は馨のその粘り強い性格をとてもよく知っているのだ。
「……わかりました。囚われのお姫様は王子様が助けるのが筋ってものですしね」
凪がふっ、と笑ってそう告げると、馨は「えっいや、えっ」と赤くなって動揺し始める。それを見た凪が心底楽しそうに笑っていると
「凪兄様、あんまりからかうのはやめてあげてください。馨君は真剣なんですから」
と蘇芳に怒られてしまった。
「まあまあ。でも奏君にいいところ見せられるチャンスなのは間違いないですから、馨も連れて行ってあげましょう」
凪に釣られるように笑っていたクレスも、凪の言葉に頷く。
「そうだな、それがいい。すぐに出発しよう、アルタイルへ!」

一同はアルタイルに着くと、すぐに凪によってアルタイルの宮殿へ案内された。
宮殿の奥──長である凪しか入ることができない建物の一番奥に、その扉はあった。
この扉の先に、アルタイル星の精の宮殿に繋がっている道があるのだという。
「この先にアルタイル星の精の宮殿があります。私の父が長になるそれよりもずっと以前から既に星の精はおらず、また顕現の兆しが一度もなかった為に私も入るのは初めてです。正直今も、顕現の気配は感じられないのですが……」
「だが、何かいる、というのははっきり感じられるな」
案内を続ける凪に続き、クレスは呟く。
道は小さな森の中へ続いていた。通常、森の中の空気といえば澄んでいるものであるが、ここは何かが違っていた。
「近付く度に邪念が濃くなっていく……やっぱり、ここで間違いなさそう」
水鏡で奏の場所を探っていた時に感じていた邪念を、セレスはここでも感知した。
見た目は何の変哲もない森ではあるのだが、皆もなんとなく嫌な「気」を感じている。
そんな中、紅袮は今までふと疑問に思っていたことを凪に問う。
「気になっていたんだけど、どうしてアルタイル星の精はそんなに長い間顕現しないの?」
紅袮の質問に、凪は困ったように首を横に振った。
「それについては、私も本当にわからないんです……本来であれば、なんらかの原因で星の精が消失した場合、すぐに新たな星の精が顕現する……星の精というものはそういうものなんです。そうしなければ、星が滅んでしまう」
「しかし、ベガ、アルタイル、デネブ等のような妖精国は特別だ。妖精長がいれば、星の精がいなくとも多少は持ちこたえられる。長が星の精の替わりを務めるからな。……しかし、こう長い間顕現しないという例は他にない」
不思議そうに語るシリウスに、続けて星も問う。
「シリウスは相当昔からこの宇宙にいるんだろ?アルタイルの星の精が消失した時のこと、知らないのか?」
「申し訳ないが、一部しか知らないんだ。私は現在この天の川銀河を管理しているが、当時この銀河の星の殆どは天帝様の管理下だった。それまでの全ての妖精国の歴史は、文献に残っているものでしか知識がない。ただ……天帝様が封印した織女星を助けるために、初代アルタイル星の精、牽牛星がアルタイルの意思を創り、結局封印を解くのに失敗して消失した、と天帝様から聞いたことはある」
シリウスの話を聞いた一同は揃って頭を捻るばかりだった。考えれば考えるほど、謎は深まっていくのだ。
「織女星って、天帝様の孫娘なんだよな。なんで実の孫を封印なんかしたんだ?」
血の繋がりがあるのであれば、そのようなことはできないのが普通なのではないのだろうか。
馨が首を傾げていると、凪もその件は気になっていたようで
「そこなんですよね。そこまでの過程が全くわからないのです。そして、その後のことも。私達が知っているのは、天帝が話したほんの一部のことだけ……」
と続けて、ため息をつくのだった。
「地球や、他の星に伝わっている七夕の伝説は、二人が恋に夢中になって仕事をしなくなったから天帝様が怒って二人を天の川で引き離した、って話だけど……実際は全然違うみたいだな」
星は、昔零や氷雨に話してもらった七夕の話を思い出していた。地球やベガの図書館で本を読んでみたこともあった。どれもわずかな内容の違いはあれど、結末は決まって、二人は年に一度の逢瀬が許されるというもの。
しかし実際、このベガとアルタイルで起きた二人の現状は、織女星の封印と牽牛星の消失、ということであり、とてもハッピーエンドとはいい難い。
「仕事をしなくなったから……そんな生易しい理由以上に、封印しなければならない程の何かがあったということか……」
クレスもベガの書斎に保管されている自国の史料を読み漁ったことはあるが、初代織女星についての記述があるものはとても少ない。わかったのは、彼女は五行術を使ってベガに繁栄をもたらしていた、ということくらいだ。
「そういえば奏が言ってた……七夕の伝説は、本当はハッピーエンドじゃないって。奏も実は、何か知ってたのか……?」
馨が思い出したように呟くと、突如どこからか声が降ってきた。ここへ共に来た仲間の声ではない、第三者の声だ。
「そんなに気になる?当時のことが」
「!?誰だ!」
シリウスが皆の前に立ち身構えると、目の前の濃霧の中から人が現れた。
「あんたは……悠!!」
杏の言葉にクレスはよくその人物を見る。確かに目の前に立っているその人物は、自分がベガの長になる前からずっとベガのクリスタルを守り続けていた星の精、織女星の悠だったのだ。
「本当にベガの星の精様じゃないか……!どうしてこんな……」
クレスが状況を飲み込めずにいると、悠は静かに首を横に振る。
「……俺は本当の、織女星じゃない。奏の代わりに織女星になったんだ」
「悠、貴方は私達の知らないことを知っている。全部話して下さい」
「それから奏を返せ!」
凪に続くように後ろから出てきた馨は、悠の姿を見てぎょっとした。悠も、馨の姿を見て今まで無であった表情が僅かにだが驚いたような表情に変わる。
「……!君が、鶲の……」
「あっ!お前、確か夢の中で……!」
「……覚えていてくれたのか。あの時は俺じゃなかったけど、魂はそのままだから……」
しかし、あの夢の中で出会った悠とは少し姿が違う。幼いのだ。夢の中で出会った彼は、もう少し大人だったような気がしたのだ。
それでもあの姿は、馨がいつか夢で見た、七海の目の前で消えていった「彼」だ。
「?二人はさっきから何を言って……」
二人のやり取りを傍で見ていた杏は不思議そうに眉を寄せる。
その時、悠の後ろからもうひとり、青年が慌てながらこちらへやってくるのが見えた。
「悠!あかん、鶲が戻ってきた!」
「楸……わかってる。さっきから鶲の念が濃くなってるから……。馨、特に君は早くここから立ち去った方がいい。体を乗っ取られる」
悠が伝えたのは、馨に対する警告だった。
しかし、馨を含め全員は、悠と楸の話が全く見えてこない。でも確かに、何か嫌な気が少しずつ強くなっている、とシリウスは感じていた。
これは星の精の呪力が「呪い(まじない)の力」ではなく「呪い(のろい)の力」となったものだ。
「まずい、悠の言う通りだ。私やセレスはともかく、他の皆はここからすぐに離れた方が良い」
「な……っだめだ、奏を助けるまでは絶対に帰らねえ!」
シリウスの言うことにも従わず、馨は絶対にここから動くまい、とその場に仁王立ちした。そうこうしている間に、周辺の不気味な色をした霧はますます濃くなっていく。
悠は唇を噛んだ。どうやってこの場から皆を帰すか、考えを巡らせていた。そして一つ、考えが思い浮かんだ。
「そうだ、楸」
悠はすぐに楸を傍に手招くと、耳打ちをする。楸はぎょっとした表情で悠を見た。
「……えっええんか、そないなことして、後で怒られへん?」
「俺はどちらの味方かといえば、鶲の味方ではない。結局五行の力を俺が手に入れればそれでいいのだから……そしたら、戻ってくるよ」
「……わかった……」
楸は急いで来た道を戻ると、暫くして一人の少年の手を引いて戻ってきた。それは、寝起きなのか眠そうに目を擦っている奏の姿だった。
「!奏……!」
「ん……馨……?……馨……!!」
奏の姿を確認した馨がすぐさま奏に駆け寄ろうとすると、同じく馨が目の前にいることに気付いた奏もすぐに馨に駆け寄る。そしてそのまま強く馨に抱きついた。
「えっ……えっ!?」
奏の予想外の行動に馨が顔を真っ赤にして戸惑っていると、奏はすぐに離れ、まるで馨が怪我をしていないか確認するように馨の体を両手でぺたぺたと触っている。
「風邪は大丈夫?治った?怪我とかしてない?俺、ずっと心配だった……」
「だ、大丈夫だよ、奏達が採ってきてくれた薬草のお陰で治ったから」
ドキドキと煩く高鳴る胸の音が聞こえないように胸を抑えながら、馨はなんとか声を絞り出して答えた。馨がそんな大変な状態になっていることに奏は気付いていないようで、馨の無事を知り「よかった」と安堵していた。
すると突然、二人の間に顔だけ割り込むようにして悠が入ってきた。
「よく言うよ。よく食べるしよく寝るし、こっちでの生活全力で満喫してただろう、奏」
「えっうわあ!?」
思わず馨はその場から飛び退いてしまう。そんな馨の反応を歯牙にも描けず、悠は淡々と続けた。
「俺も皆についていく。奏の持つ力を諦めたわけではないし。それに……馨、君に興味が湧いたから」
「ええっ!?」
二重の意味で驚き百面相をしている馨の顔を見て、凪はおかしそうに、そして茶化すように笑った。
「馨ってば、なんだか急にモテちゃいましたねえ。それはさておき、案外あっさり降伏してくれましたね。来ていただけるのでしたら助かります」
悠はそのまま奏の手を引き、シリウスの言葉に従って一同と共にその場から立ち去っていった。
残された楸は、そんな悠の後ろ姿が見えなくなるまでずっと、心配そうに見つめているのだった。
「……」
「……悠を行かせたのか」
「!げぇっ!見てはったんですか!す、すんまへん、妖精長二人に太陽神シリウス様までおったさかい、ここで戦うんはちと分が悪いと思いましてなあ」
まだ濃い霧の中、唐突に聞こえた声に楸は飛び上がり、先程のやり取りを見られていたことを知り慌てて弁明した。
しかし、楸の言うことは最もである。妖精長といえばその国で一番強い力を持つ者であるし、シリウスは最早言うまでもない。ただのしがない妖精である楸からしてみれば、その力の差は歴然だった。あそこで悠が戦うと言い出さないか、内心ヒヤヒヤしていたくらいだ。
だが悠はそのような愚かな男ではない。力の差を理解していたからこそ、あのような判断を下したのだろう。
「構わないさ。最終的に悠が奏を連れてまた戻ってくればいい。そういうつもりで悠は向こうへついていったんだろ」
「ええ、まあ、その通りですわ」
声の主は、悠が何故あのような行動を取ったのか、全て理解しているようだった。
「それより、器の完成はまだなのか?」
唐突に問われ、楸は「う」と分が悪そうな顔で口をもごもごとさせる。
「あ~……それについては、あとちぃっとばかり待ってて下さい。何せ禁忌スレスレのことやってるもんで、気張っていかへんと……」
「無茶なことを頼んで悪いな。何せこの状態だと長く行動できないのが……俺の替わりの牽牛星の体さえあれば、その器を使えるんだが……」
「……」
声の主の気配が、そのまま遠のいていくのを楸は感じていた。彼が先程言っていたように、長くは行動できないために暫し眠りにつくのだろう。彼はこうして短い睡眠と目覚めを何度も繰り返し、行動しているのだ。
すっかり霧が晴れ、木々の隙間からはいつものアルタイルの星空が広がっている。その星空を、楸は複雑な心境で見上げているのであった。

「……」
「単刀直入に訊きます。貴方の目的はなんですか?」
アルタイルの宮殿内、凪の書斎。悠はそこに通されるなり、質問攻めを受けていた。
「君はベガの星の精だったはず。それがブレウスの封印解除後も姿を見せず、牽牛星の名を騙っていたとは……一体何がどうなっているんだ?」
凪とクレスの質問に、悠は表情一つ変えず淡々と答えていく。
「目的は……奏の持つ五行の力を手に入れること。俺は確かに織女星だけど、でも、本当の織女星じゃない。牽牛星の名を騙っていたのは、俺の中に鶲が入っていたから。鶲の名前を奏に知られるのはいけないと思って、俺の名前を使ってくれと頼んでいたんだ」
実際、奏は鶲の名前に何か引っかかるものを感じてはいたものの、全く心当たりはない、ということから、悠はそれについては問題ないと判断したらしい。
「でも、奏も織女星なんだろ?ベガの星の精が二人いるってことなのか?」
星の質問に、悠は驚くべき答えを返した。
「……俺と奏は、双子」
「!?ええっ!」
突然明かされた新事実に一同はどよめいた。これは、クレスでさえも知らなかったことだ。
悠は構わず、淡々と話を続ける。
「新たなベガの星の精が顕現する時、奏と一緒に俺も生まれた。俺は何も持っていなかったけど、奏は織女星の証の五行の力を持っていた。それを危惧した天帝は、奏を自分の重臣に預けて、義理の親として森の中でひっそり育てるように命じた。そして俺を代わりに織女星に立てることにした。と、俺は聞いている」
「!か、奏、すまん!両親のことは、俺もいつか話そうと思っていたんだが……」
悠がさらりと奏の両親の真相を話してしまい、クレスは慌てて奏に両親の秘密を隠していたことを謝罪する。しかし奏は、その事実に動揺することもなく、いつもどおりの無表情で
「……ううん、それは別にいいよ。だって、俺にとってはあの人達が俺を育ててくれたお父さんとお母さんだから。その事実は変わらない」
と答える。血は繋がっていなくても、亡くなるまで、自分を育て、たくさんの思い出を作ってくれた両親であること。奏にとっては、義理かそうでないかは関係ないのだ。
クレスはほっと胸を撫で下ろした。
「話を続けましょう。つまり貴方の目的は、奏君の力を手に入れて本当の織女星になること?」
凪の次の質問に、悠は静かに首横に振る。
「そうだけど、少し違う。別に俺は本当の織女星になりたいわけじゃない。奏を悲劇の運命から助けるために……その為には、俺が代わりに五行の力を受け取って、天帝に封印されればいい」
「ま、待って下さい。どういうことなんですか、話が全く見えてきません」
「……どうして俺の代わりに、悠が封印されるの……?」
悠の答えに、蘇芳は混乱しているかのように頭を押さえた。奏も不思議そうに首を傾げている。
続いて馨も僅かに狼狽えながら、
「そ、そうだ。それに悠がそうしなかったら、奏が封印される可能性があるってことなのか……?」
と問う。悠は真剣な面持ちで頷いた。
「……このままだと、その可能性は十分にある。奏は馨と出逢ったことで、また同じ運命を辿ろうとしている」
「……俺が夢で見たこと……あれともしかして、関係があるのか……?」
「……」
すると、悠は突然俯いて無言になってしまった。馨の質問にも答えない。
「悠?」
心配した紅袮が悠の顔を覗き込むと、悠は目を閉じうつらうつらとしていた。
「……こんなにたくさん喋ったこと、あまりないから……疲れて……ねむ……」
そしてその数秒後には、静かな寝息が聞こえてきたのである。
「ってもう寝てるし!この状況下で寝れるってどういう神経してるんだよ……」
呆れたように突っ込む星に続いて、凪もため息をついた。
「全く、まだまだ訊きたいことは山程あったのですがね……こういうマイペースなところは、確かに奏君とそっくりなのかもしれません」
「え、そうなのかな」
常々マイペースだとは言われているが、奏にはどうやらその自覚はなかったらしい。不思議そうに首を傾げ、眠ってしまった悠を眺めている。
そんな奏の様子を見てクレスは静かに笑った。
「奏よりは多少しっかりしているようだが、ところどころ似ている要素はあると思うぞ」
「ふふ、果たしてどちらがお兄さんなのでしょうね」
クレスに続いて笑う蘇芳の言葉に、奏は少しだけ、表情を明るくさせた。そして悠の寝顔を見つめながら
「お兄さん……きょうだい、か……」
と呟く。今まで一人っ子だった奏にとって、突然できた双子の兄弟だ。無表情ではあるが、奏は胸の中が何やら暖かくなるのを感じていた。
「仕方ありません、今日はここまでにしましょう。明日また色々尋問しますから、皆さんは今日ここに泊まっていってください」
凪がそう言うと、今まで部屋の中に張り巡らされていた緊張の糸が一気に緩んだような感じがした。杏はゆっくりと伸びをする。
「はーい!久しぶりの故郷だわ~、のんびりしましょ」
「俺もちょっと……ねむい……」
悠と同じようにうとうとし始めた奏を、馨は慌てて支えた。
「色々あったもんな、疲れただろ。空いてる部屋案内するから……ん?」
馨が奏を連れ部屋を出ようとすると、何かに引っ張られるような感覚を覚えた。思わず後ろを振り向くと、眠っている悠が馨の服の裾をしっかりと握りしめている。
「え」
馨が固まっていると、凪がまるで面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりに楽しそうに笑った。
「おやおやこれは……無理矢理話したら起こしちゃって可哀相なことになっちゃいますね」
「で、でも……」
流石に馨も病み上がりで疲労している。このまま悠の傍で服を握らせたまま眠るわけにもいかず馨がおろおろしていると
「添い寝してあげたらどうですか?」
と、凪がニヤニヤと笑みを浮かべながら提案した。馨は瞬時に顔を真っ赤にさせる。
「えっいやいやいやいや!だめだって!お、俺には奏が!」
「俺も馨と一緒に寝るー……」
「ええええええ、そそそそそれもちょっと!!!!」
欠伸をしながら奏が馨の袖を引っ張る。テンパる馨に眠っている悠を背負わせ、
「モテる男はつらいですね~、頑張ってくださいね♡」
「頑張るって何を!?あああああもう!!」
そう言って凪はにっこり笑いながら手をひらひらと振り、馨を見送るのであった。暫く見送っていると、背後から呆れたようなため息が聞こえてくる。
「凪、いい加減にしろ」
全員が宮殿の客室に散っていった中、クレスだけはまだこの部屋に残っていた。
「ふふふ、馨が初々しいからついからかいたくなっちゃうんですよねえ。なんだかんだで奏君も少しずつですが馨の気持ちに応えるようになってきていますし、このまま再契約できるかもしれませんよ」
「それは喜ばしいことだが、そうなると一つ気になる。悠の言っていた、奏が馨と出逢ったことで同じ運命を辿ろうとしている、というのが……」
「……」
クレスの言葉に、今まで笑顔でいた凪は真剣な表情に戻る。
「もしかしたら、このまま二人を一緒にさせると、とんでもないことが起きるのかもしれない……」
「……つまりまた、最終的に織女星と牽牛星が消失するような出来事が……」
二人は黙り込んでしまう。あれだけ奏と再契約を交わすために頑張っていた馨の努力が、思わぬ形でなかったことにさせられてしまうかもしれないのだ。最悪、奏か悠のどちらかが悲劇の運命を歩むことになる。奏も馨も、自分達が助かっても、悠がそうなるのをよしとは思わないだろう。
特に奏は、ああ見えて自分の意思だけはしっかりしている。自分の為に誰かが犠牲になるのであれば、自分を犠牲にした方がいい、と迷わず自ら悲劇の運命を選択するであろうし、そうと決めたら意地でもその意思を曲げない。
「……これは一度、天帝様を問い詰めてみた方がいいのかもしれん」
クレスも凪も、できることならあの三人全員を救いたい、と思っていた。その為にはとにかく情報が不足している。最早全ての情報を把握しているであろう天帝に直談判をするしかない。
すると二人の目の前に、無数の羽と光に包まれ、シリウスが現れた。
「その、天帝様の件なんだが」
どうやらシリウスは天帝のところへ行っていたらしい。
「今回の事件を報告してきたんだ。少々渋い顔をしながら「全てを話さなくてはいけないな」と仰っていたよ。一週間後、今回の事件に関わった者達を連れて謁見することになった」
天帝もどうやら腹を括ったらしい。どんな事情があって過去の事件を隠しているかはわからないが、このままではまた、過去の事件が再び起きてしまう可能性があるのだ。それだけは阻止しなければならない。
「承知しました。今日はもう解散してしまったので、皆には明日伝えましょう。シリウス様もゆっくりお休みください、今日は本当に助かりました」
クレスが礼を言うと、シリウスは「構わないさ」と笑った。
「また何かあったら呼んでくれ。それから後で、悠の話していたことも教えてくれると助かる」
「わかりました。ではまた、よろしくお願いしますね」
凪が頷くと、シリウスは再び光に包まれその場から去っていった。

「すぅ……すぅ……」
「……ぷぅ……」
「…………だめだ!ドキドキして寝られない!!」
奏と悠に挟まれるようにして寝ていた馨は思わず飛び起きてしまう。
結局自分の部屋で奏と悠を寝かせることになったのだが、悠は相変わらず服を離してくれないし、奏は一緒に寝る、と珍しく駄々をこねてきかない。
馨は二人を自分のベッドに寝かせて自分は床に布団を敷いて寝ようと思っていたのだが、そういうことで仕方なく、自分のベッドに三人、川の字になって眠ることになったのである。
しかし宮殿のベッドとはいえ、馨のベッドのサイズはシングルである。まだ大人ではないが子供と言うほど小さくもない三人が一緒に寝るには、いささかサイズが小さすぎた。男ではあるが少女のような顔をしている双子に挟まれて、思春期真っ盛りの馨が耐えられるはずがなかった。
勢いよく飛び起きたはずだが、それにも構わず二人は熟睡しているようである。馨は思わずため息をついてしまった。
「全く、人の気も知らないでさあ……ちょっと外の風にでも当たってこよう……」
流石に悠も、既に馨の服から手を離していた。それを確認した馨は静かにベッドを降り、部屋を後にする。
外に出ると、満天の星空が馨を出迎えてくれた。いつものアルタイルの星空ではあるのだが、暫くベガに滞在していた馨にとって、アルタイルでしか確認することができない星座が見えるということに懐かしさがこみあげてくる。
「……そういえば、奏はアルタイルに来るの初めてなのかな……初めてならいろんなとこ、案内してやりたいなあ。悠も……なんだかんだで気が合いそうだよなあの二人。まあ、双子なわけなんだし……」
明日には再び皆で集まって悠の尋問の続きをすることになっているが、それらが全て片付いたら奏達にアルタイルを見せてやりたい、と馨は思っていた。
そんなことを考えながら宮殿の広い庭園を歩いていると、突然背後に人の気配を感じ、馨は素早く振り返った。
「!」
「うわ……っと!こんな真夜中に外うろついとると、体乗っ取られるで」
「お、お前は、あの時悠と一緒にいた……!」
主に体術を得意としている馨は咄嗟に足が出たが、相手は不意の攻撃に少し驚きつつもそれを見事にかわした。そこに立っていたのは、先刻、アルタイル星の精の宮殿へ赴いた時に悠の傍にいた青年だった。
「おおー覚えとってくれはったんか!楸いいます、以後よろしゅう!」
「お、俺に何の用だ!」
「いや~うちの悠が世話になっとるさかい、一言くらい挨拶せなあかんと思ってな」
楸は軽いノリで馨に話しかけるが、馨が警戒を解く気配はない。馨は何も言わず、ただじっと楸を強く睨みつけている。
「そ、そないな怖い顔せんでも……俺は君らの敵じゃあないで。まあ、味方……とも、ちゃうんやけど……」
「奏のこと攫ったんだから、俺にとっては敵でしかない」
馨の言い分は最もである。あっさり返してくれたとはいえ、奏を攫ったという事実は拭い去ることはできない。たとえどんな理由があったとしても。
楸はため息をついた。馨に信用してもらうことは困難だと判断したからだ。しかしそれでも、これだけは馨にしかできないことだと楸は思っていた。
「せやな……けど、一つだけな。悠のこと、助けてやってほしい」
「……え?」
飄々としていた今までの態度から一変して、楸は真剣な眼差しで馨を見つめた。馨も思わず警戒を解いてしまう。悠のことは、馨も少し気にかけていたからだ。
「今、悠が計画してること……あれは奏を助ける代わりに、自分が犠牲になるっちゅー計画や。多分それについては悠がもう話したかもしれへんけど……俺はどうしても悠を失いたくない」
「でも……それは、それじゃあ、奏が犠牲になれってことかよ……」
「そういうわけじゃあらへん。奏も悠も、二人共犠牲にならない道を作る……あんたならそれができると俺は思っとる」
「俺が……」
楸が、どう確信をもってそう話すのか馨には全くわからなかった。だが、できることなら奏は勿論、悠のことも幸せになれるように助けてやりたい、と馨も思っていた。
悠は奏の双子の兄弟であるのだし、悠がいなくなればきっと奏は悲しむ。
それを抜きにしても、奏を助ける為に悠が犠牲になるということを、馨はあまりよく思ってはいなかったのだ。
「悠が過去に何を見たのか、何をして、何を知っているのかは俺も詳しくは知らへん。けど、もしそれに鶲が関わっとるんなら……あんた達に鶲の魂を救ってやって欲しい。それができるのはあんただけや。そうすれば、もしかしたら可能性が……」
「ひたき……悠も言ってたけど、結局ひたきってなんなんだ?」
馨が問おうとすると、楸ははっと何かの気配に気付いたように顔を強張らせ、慌てて馨の背を押し宮殿に入るように叫んだ。
「!あかん、鶲が来る!あんたの体は鶲に性質が似とる、乗っ取られたらしまいや!はよ戻れ!あとさっきの話、悠には秘密にしといてな!!」
「え、お、おい!」
馨は何が何だかわからずされるがまま宮殿の中に押し戻される。そして楸は慌てるようにしてどこかへ走り去っていった。
「行っちまった……夢の中の、悠に似た人も言ってた……ひたき、って、誰なんだ……」
楸が消えていった方向を見つめながら、馨は一人静かに呟く。
その呟きは冷たい空気を孕んだ夜の静寂の中にすぐに溶けていってしまった。

「おっはよー馨……ってうわ!お前すげえクマできてんぞ、寝てねえのか!?」
朝、食堂へ向かう馨の前に元気よく顔を出した星は、げっそりとしている馨の顔を見て思わず驚いてしまった。
「はは、まあ……色々あってな……」
結局あの後自分の部屋に戻ったものの、あの二人に挟まって眠ることはできず、その上鶲のことが気になってぐるぐると考えていたらろくに眠ることもできず朝になってしまっていたのである。
紅袮も心配そうに馨の様子を見ていたが、ふと、奏と悠がいないことに気付く。
「あの二人は?まだ寝てるの?」
「え、奏はまだ寝てたけど、そういや悠は俺が起きたらもういなかった」
朝方、馨が一瞬だけ眠りに落ちた隙に、悠は部屋を抜け出したらしい。ベッドの中には相変わらず変な寝息を立ててぐっすりと眠っている奏だけが残されていたのだ。
それを聞いた杏は当たりをきょろきょろと見回しながら
「監視対象だから逃げられたら困るわよ。すぐに探しましょ」
と続ける。さすがは天帝の重臣というべきか、今までどのような命をこなしてきたのかはわからないが、その目は完全に敵の姿、気配を探す目だ。そして杏はすぐに何かの気配を察知し、素早く後ろを振り返る。
そんな杏の殺気も気にすることなく、悠は昨日と変わらない様子で唐突に皆の背後に現れた。
「俺は逃げないよ」
「うわっ!?」
馨達は思わず飛び上がってしまったが、悠の姿を確認して安堵の息をついた。
「お、お前どこ行ってたんだよ……!」
「外、散歩してた。朝のアルタイルの空気はとても好き」
「あっなんかわかるかも!地球の朝みたいでさ、空気がすごく澄んでて気持ちいいんだよな」
悠の話に星が楽しそうに乗る。
アルタイルは空気の質や育つ動植物、海と似た成分を含んだ泉が存在するなど、環境が地球と似ているのだ。地球と違うところといえばここは妖精国であり、魔力が存在しているということ。故に動植物が魔力の影響を受け凶暴化し人々を襲う、といった事件も過去に数え切れないほどあった。今ではアルタイルの長である凪が魔力をコントロールしているため、そのような事件が起こることも滅多にないのだが。
「奏は?」
悠は周辺を見渡し、奏の姿がないことに気付いた。
「まだ寝てると思うぞ。あいつ起きるの遅いから」
馨が答えると、悠は「そう」とすぐ興味を失くしたように食堂へ向かう。
「早く起こしに行きましょう、もうそろそろ朝食の時間だしね」
「そうだな、でも奏起こすのほんと大変なんだよ……」
杏と紅袮と星の三人は、奏を起こすために馨の部屋へと向かう。しかし馨はその場に立ち止まったまま、悠の後ろ姿を見ていた。
「……なあ、悠」
「何?」
馨に呼ばれ、悠は短い返事をして振り返る。
「お前はなんで、自分を犠牲にしてまで奏を助けようとしてるんだ?」
「……」
「俺の夢に出てきたお前は……今まで七海の、何を見てきたんだ?それと、お前の行動は関係あるのか?」
悠は答えない。無の表情を保ったまま、ずっと馨の目を見つめ続けているだけだ。その突き刺すような視線に馨は思わず目を逸らしそうになるが、それを堪え、馨も悠を見つめ続ける。
やがて悠は観念したのか、ゆっくりと語りだしたのだ。
「……俺は、鶲が好きだったから」
「え……」
「鶲の幸せが、俺の幸せだったから。それがどんどん壊れていくのがとてもつらかった。だから、今度こそ鶲が幸せになれるように、それを邪魔する奏の力を俺が引き受ければいい」
淡々と、しかし切実に、悠はそう語る。
そういうことか、と馨は思った。しかしそれでは、鶲が幸せになれても悠は報われない。
「だ、だからって何もお前が犠牲になることないじゃんか!その、鶲、ってやつも、悠がそんな風に自分を犠牲にすることをよくは思ってないんじゃないか……?」
「さあ、どうだろう。あの人はずっと……彼女のことしか見ていなかったから。俺は彼女のことを懸命に愛するあの人のことが好きだったから……見守ることができれば、それだけで俺は……それだけで……」
俯きながら、最後は呟くように語る悠に馨は何かを言いかけたが、それを遮るように紅袮の呼び声が聞こえてきた。
「二人共何してるのー?朝食、できたって!」
「あ……」
「早く行こう。俺もお腹すいた」
「お、おう……」
悠は馨の手を取ると、食堂へ向かって再び歩き始める。
「……馨は、優しいんだな」
「え?」
「奏を攫ったのは俺なのに、そんな俺のことも心配してくれる」
そう話す悠の表情は、悠の後ろを歩く馨には窺い知れなかった。それでもその声色は、嬉しいような悲しいような、様々な感情が入り混じっているように聞こえた。
「だって、奏のこと、大事だけど……奏の代わりにお前が犠牲になるっていうのが納得いかないっていうか……なんか、嫌だろ、そういうの」
繋いでいた手を強く引くと、驚いたのか悠がこちらを振り返った。その目にはわずかだが、涙が滲んでいるように見える。それを見た馨は、悠の本心が少しだけ見えたような気がしたのだ。そして思わず叫んでしまっていた。
「っ俺がなんとかする!奏も、お前も……誰も不幸にならないように!」
悠は驚いたように目を見開いた。そして僅かに唇が動く。何か、名前を呼んだように思えたが馨には聞き取れなかった。
「え、何……?」
「ううん、なんでもない……ありがとう」
馨は思わず訊き返したが、悠はやはりそれには答えず、初めて小さな笑顔を見せたのだった。
その控えめな笑顔は、奏にとてもよく似ていた。

一同は朝食をとった後、アルタイルの街に出ていた。
予定では朝食の後すぐに悠の尋問の続きが行われるはずだったのだが、急な用事ができたということでクレスと凪は忙しなくアルタイルを発っていった。
急に予定が空いてしまったので、馨は奏達にアルタイルの街を案内してあげることにしたのだ。
「奏、紅袮達も!早く来いよ~!ここのお菓子めっちゃ美味いんだ!」
遠く離れた店の前で大きく手を振り皆を呼ぶ馨。その声に答えるように奏は走り出そうとした。が、すぐ後ろの悠に気付き、手を差し伸べる。
「悠も、一緒に行こう」
「……いいけど」
悠は奏の誘いを了承すると、そのまま奏に手を引かれて行ってしまう。
そんな二人の行動を、星と杏は微笑ましく見守っていた。
「馨の奴、張り切っちゃってまあ」
「奏もなんだかすっかり悠に懐いちゃったみたいね」
紅袮も嬉しそうに微笑みながら、二人の後ろ姿を眺めている。
「双子の兄弟ができたのが嬉しいんじゃないかな。今までずっと一人っ子だったわけだし……俺も、敵で、死んじゃったけど……双子の弟がいたって知ってちょっとだけ嬉しかったし」
今の奏の心境を、紅袮はかつての自分と重ねているようだった。
そんな紅袮の心境をよそに、杏は静かに呟く。
「一応、まだ敵みたいなものなんだけどね」
「なんだよ、杏はまだ悠を信用できないのか?」
「ええ。彼の考えは読めない。何も持たないで生まれたなんて言ってたけど、彼は彼で強い力を持ってる。だからこそ今まで奏の代わりに織女星を務めることができていたのだし……何を企んでいるかわからないわ。油断させてまた奏を連れ去るつもりかもしれないし」
星は笑うが、杏は疑念を拭いきれないでいた。天帝の重臣である、という杏の立場が、簡単に悠のことを味方と判断することができないでいるのだろう。現に悠はまだ、たくさんの秘密を隠し持っている。それらが全て明かされるまでは……そして、唐突にこちらへついてくることになった真の理由がわかるまでは、油断できない。
そんな杏を、紅袮は苦笑しながら宥めるのだった。
「ま、まあまあ。とりあえず一週間後の天帝様謁見の日までは、俺達でちゃんと様子を見ていよう」

その頃、クレスと凪は天宮より少し離れた場所に存在する「精霊の星」に来ていた。
ここは宇宙に存在する全ての元素、物質、所謂「森羅万象」の力が結集している星である。
この宇宙に存在する人の中で唯一、森羅万象の力を扱える妖精──天帝直属の重臣である浅葱が、たった一人、この星で「森羅万象」を監視しているのだ。
クレス達はその浅葱に呼ばれていた。そこにはデネブの妖精長、響の姿もあった。
「こ、これは……!」
浅葱の力によって展開されている、まるで星空のような森羅万象の光達。これらは全て、この世に存在している「力」が浅葱の森羅万象の魔力によって目視できるようになったものである。
その中心にある五色の光が、他の光に比べると今にも消えそうになっている。と思いきや、次の瞬間眩く光り始めたりと異常を見せていた。
「ちょっと前からおかしいと思ってたんだが、最近「火、水、金、木、土」……五行の力に異常が出ている。多分これらの力を持ってる妖精達は皆うまく力が使えなくなってるんじゃないか」
浅葱の説明に、響は成程、と呟いた。
「確かに、少し前から魔力の低下を訴える人達がちょくちょく相談しに来ているよ。妖精風邪の類じゃないかと思っていたんだけど……」
「……この異常は、いつ頃からですか?」
凪が尋ねると、浅葱は少し考えた後
「あ~……確かひと月くらい前からかな。その頃からなんかちょっとおかしくなって、一週間くらい前に更に酷くなった。まるで何かを警告するかのように、こんな感じに光りだして……」
と、今も異常な光を放つ五色の光を見つめる。
その話を聞いたクレスはハッとなった。
「ひと月前といえば、妖精風邪が流行り始めた頃だ……そして一週間前は、奏が攫われた日……!」
「やはり、悠の言う通り……奏君と馨の出逢いによって力が乱れているんでしょうか……」
凪とクレスが苦い顔をしていると、浅葱は「そういえば」と何かを思い出したように語りだした。
「その、奏達のことは蘇芳から色々聞いたけど、織女星の持つ五行の力はとんでもねえって俺のじーさんに聞いたことがあるぞ」
「どういうことだい?」
響が首を傾げて問う。
「紅袮が感情をトリガーにして蘇生術の力を増幅させてしまうように、織女星の五行術も感情が全てを支配してる。無の状態……または喜びや満足感なんかの良い感情が干渉している時は力も安定し、良い力になる。けど、悲哀や憎しみ、憤怒とか、そういう負の感情が干渉すると……力はたちまちバランスを崩して引かれ合い、一つになった五行の力は強大な「負」の力に変わる。……それは、天帝様の力をも凌ぐそうだ」
「……成程、話が見えてきました」
凪は今までの出来事と浅葱の話を照らし合わせ、脳内で状況を整理していた。
浅葱が話した五行術の秘密。このピースが出てきたことで、今まで穴だらけだったパズルの完成がようやく見えてきたのだ。
「つまり初代織女星は、何らかの事情で負の感情に支配されてしまった為に天帝様に封印され、消失した……ということかな?」
「恐らく響の言う通りだろう。織女星は消失しても織女星という運命からは逃れられないと聞く。そして転生して奏になったのか……奏のあのいまいち感情表現に欠けてる性格が、そこに関係していたとは……」
クレスは、奏を初めて見た時のことを思い出していた。
まるで心のない人形のように、無表情で、とにかく「感情」というものを彼は持っていなかった。しかしそれは、真の織女星である奏が持つ五行術を守る為、天帝が重臣に、なるべく「感情」を持たない子に育てるように命じたのだろう。
「おそらく、まだ奏君は織女星として覚醒はしていません。だから今は馨との出逢いに関しては大丈夫……しかし、いずれ覚醒した後に馨との関係に何かがあれば……」
「悠の言っていた悲劇というのは、そういうことか……」
凪もクレスも、悠がしきりに話していたことを思い出していた。そういうことであれば、全て辻褄が合う。
「その悠って子は、そうならない為に自分が代わりに五行術を受け取って、力と共に天帝様に封印されて永遠の眠りにつくつもりなんだろ。星の精が双子として生まれるっていうのは稀な例だけど、悠はきっとその為に、奏の片割れとして転生することを前世で願ったんだろうな。なんか、過去のこと知ってるっぽいんだろ?」
「……」
「……なんとかして二人共助けてあげられる方法があれば、いいんだけどね……」
浅葱の言葉に答えることもできず、黙ってしまったクレスと凪の気持ちを代弁するように響は呟いた。
「……それについては天帝様の謁見時に相談してみることにしよう。何かいい案をご存知かもしれない。あとわからないのは、牽牛星の動向か……」
「鶲、と悠は言っていましたか。一体何を目論んでいるのか、今のところ見当もつきませんね……」
クレスと凪の言葉に、響と浅葱も考え込むように口元に手をやる。
わかっているのは、鶲と悠が知り合いであり、今まで共に行動をしていたということ。何故二人が行動を共にしていたのか、悠はまだそのことについて話していない。
そして何故、消失したはずの鶲が現在もこの世に存在しているのか、ということ。
「現存しているデータベースは既に調べ尽くしたが、初代織女星と初代牽牛星、鶲……この二人の記録が殆ど残されていないのはやはり、意図的に抹消されたとしか思えないな」
あまり天帝様を疑いたくないが……とクレスは付け加える。
こういった星の歴史を改ざん、または抹消することができる力を司っている星の精が天帝のすぐ傍にいることをクレスは知っている。そして彼のその力を自由に行使することができる権限をこの宇宙で持っているのは、天帝しかいない。
「やはり天帝を問い詰めるしかありませんね」
「そうだね。事情を一番よく知っているみたいだし……それに、もしかしたら僕達が思っている以上に時間がないのかもしれない。謁見の日を少し早めてもらった方がいいと思う」
響の言葉に、三人は頷いた。
「ああ、あとそれからもう一つ」
浅葱は思い出したように言うと、展開している森羅万象の光の一部を指差した。
「あそこ、デネブの力……錬金の力だ。あれで異様な力を最近感じるんだ。響も警戒しておいてくれ」
浅葱が指差した光を見ると、橙の光に時々赤い光が混じる。響はそれを見て顔をしかめた。
「……わかった。確かに、ここのところ外部でおかしな力を感じるって鴫も言ってたんだ。調査をしてみよう」
「それじゃ、今日はこの辺で戻ろう。昨日の悠の話の続きも聞かなければならないしな」
「そうですね。浅葱、また何か異常があったらすぐに知らせて下さい」
「了解」
三人の長達は急いで帰り支度を整えると、星を発っていく。
三人が消えていった空間を見つめながら、浅葱は小さく呟いた。
「……ったく、一体何が起ころうとしてやがるんだ……?」
五色の光はその声に対して何かを伝えるかのように、何度も点滅を繰り返すのだった。

第四章 【仮初の織女星】  完