ちぇんじRevolution

ちぇんじRevolution

第一章【もう一つの御伽草子】

「しかるべきにこそあるやめ、もとのやうに住み逢はんことは月に一度ぞ」
と言ひけるを女房悪しく聞きて、
「年に一度とおほせられるるか」
と言えば、
「さらば、年に一度ぞ」
とて苽を持ちて、投げ打ちに打ちたりけるが、天の川となりて
七夕、彦星とて
年に一度、七月七日に逢ふなり――

本好きの父の書斎。その大量の本の中の一冊をじっくりと読んでいた少年は、ふ、と小さなため息をついた。
少年の自宅は、街はずれの森の更に奥に建てられていた。人など滅多に来ることはない。
幼い頃から、両親と自分だけで育ってきた少年にとって、この森に住む動物達と、父の書斎の本だけが唯一の友であった。
これは、確か地球に伝わっている星の伝承であったか。自身が住むこの星にも、それに倣った催しが毎年開催されているのを少年は覚えている。
そういえば、そろそろその催しが開催される季節だ。きっと街はもっと賑やかになるのだろう。
そんなことを思いながら、少年は先程まで読んでいた本の結末が気になっていた。
「……この話……なんか聞いたことがある……かも、しれない」
少し古い書物のページを何度もめくりながら、少年は一人、呟いた。
「でも……なんだろう、もっと、こんな……いい終わり方なんてしなかった気がするんだけど……違うかな」

***

――なんて感じたのは、もう何年も前の話で……

「奏!まだー!?」
深い森の中にひっそりと建てられた一軒家。
その家の玄関で、とある少年が家人を急かすように呼んだ。しかし部屋の奥から聞こえてきたのは
「うーん……もう少し待って」
という、急いている少年とは正反対ののんびりした返事だった。
「奏……もう少し、もう少しって、俺もう一時間くらい待ってるんだけど」
「うん、ごめんね、紅袮」
紅袮はこの家の住人、奏の友人だった。紅袮が友人である星と「探検しようぜ!」とこの森の中に連れられてこの一軒家を見つけたのが、奏と出会ったきっかけだった。この家に、奏はたった一人で暮らしていた。
奏はとにかく、のんびりとした少年だった。
動物と本が友達で、人と会話はできるがとにかく反応が薄い。感情表現も小さく、何を考えているのかわからない。
紅袮も、最初は奏のあまりにも人ならざる雰囲気に戸惑ってしまった。そう、まるで、心のない人形を見つけたような気持ちだった。
しかし今は、何度かこうして会いに行って街に連れ出したりなどしていて、次第に人らしさが身についていった。それでも、マイペースなところと反応が薄いところはあまり変わらないのだが。
奏は家の中に迷い込んできた手負いのうさぎの治療をしていた。奏がうさぎの身体に手をかざすと、うさぎの怪我はみるみるうちに治っていく。
「これで大丈夫かな。次は怪我しないようにね」
奏は傷を治してあげたうさぎを庭に放す。うさぎは奏の方を名残惜しそうに何度も振り返りながら、森の中に消えていった。
一仕事終え「ふう」と息をついて後ろを振り返ると、そこには凄まじい形相の紅袮が立っていた。
「もう、何やってるんだよ!」
「ごめん、うさぎが怪我してたから、治してあげてたんだ」
紅袮の放つ怒りのオーラにも全く怯むことなく、奏はいつものマイペースな口調でゆっくりと言い訳をした。紅袮はため息をつく。このようなことは一度や二度ではないのだ。
「全く……奏は本当に動物が好きだよな」
この森にはたくさんの野生動物が生息している。その森の中で育った彼なのだ、動物達は彼にとって大切な友人であるし、怪我などしていたら放っておけないのは当たり前のことだろう。
「前の祭りの時も短冊に動物のことお願いしたんだろ」
「うーん……忘れた。なにせ昔のことだから」
「……そういうとこ、奏らしいよな」
紅袮は再び呆れたようにため息をつくと、奏に出かける支度をするように促した。
「俺はついこの間この星にきたから知らなかったけど、ベガとアルタイルってこういうお祭りやったりするんだな」
奏の手を引いて待ち合わせ場所に向かいながら、紅袮はつぶやく。
紅袮はブレウスの遺伝子実験によって誕生し、そして失敗作だったということで棄てられ、このベガに流れ着いた妖精だった。ベガの妖精長、クレスに拾われて一命を取り留め、先のブレウス討伐にも協力した。
ブレウスの襲撃を受け壊滅状態だったベガ、アルタイル、デネブの三国を救い、以前のようにまた祭りを開催することができるようになったのも、この紅袮の活躍があったからである。
事件が収束し、このベガで改めて生活をするようになった紅袮にとって、この星で起きる人の営みの何もかもが新鮮だった。そして、今日開催される祭りも、紅袮にとっては生まれて初めての祭りとなるのだ。
「楽しみ?」と奏が尋ねると紅袮は頬を紅潮させ
「星がどうしてもっていうから、行くだけなんだからな」
などと言う。が、本音をいうと実は昨日からずっと楽しみで眠れなかったほどである。
街へ近付くと、遠くから二人を呼ぶ聞き慣れた声が響いてきた。
「おーい紅袮!奏!やっと来た、もう皆集まってるぜ!」
大きく手を振って二人を呼んでいるのは、星だった。
彼もブレウス討伐に協力した妖精と悪魔の混血児であり、歳が近いこともあってか人見知りだった紅袮をよく気遣ってくれて、今や二人は無二の友、のようになっている。そして紅袮と共に森の奥深くに住む奏を真っ先に見つけたのも星だった。
「ごめん、星。奏が遅くて」
「またかよー、ほんと奏はマイペースだよなあ」
星が口を尖らせて奏を咎める声も聞かず、奏はようやくたどり着いた街を見渡していた。
綺麗なたくさんの装飾で飾り付けられた街。たくさんの店。たくさんの楽しそうな人達。
そう、今日は七月七日。年に一度のベガとアルタイル同時開催の「七夕祭」の日である。
この行事は地球に伝わっているベガとアルタイルの七夕伝説に倣い、かつてのベガの妖精長が始めたものだった。基本は地球での催しと同じように街を七夕飾りで飾り付け、屋台を出し、夜空を眺めるものである。
だが地球と違うのは、ここはまさにベガ星とアルタイル星。七夕伝説の舞台であるということ。ベガに住む少年少女が14歳になる年に彼らは短冊に願い事を書き、それを見た同じく14歳のアルタイルの少年少女が翌年の祭りの時にその願いを叶えに来てくれる、という行事があった。
――番の契約――
ベガとアルタイルの妖精のみが交わすことができる契約を交わし、一年添い遂げ想いが通じ合えば二人は永遠に結ばれる、というものだ。自由参加ではあるのだが、14歳の時しか参加できないという決まりがあるので、国の少年少女達は毎年ほぼ全員が参加している行事である。最早これがメインといっていい。
奏は今年、15になる。奏自身、この行事には微塵も興味はなかったのだが、両親に勧められ断ることもできず、14歳の時にやはり短冊に願い事を書いたのだ。
しかしその直後ベガはブレウスの襲撃を受け、国の住民の殆どが命を落とすか、封印されてしまった。つまり、数年間この祭りは開催できずにいたのだ。
前回の祭りが開催されてから数年のブランクはあるが、幸いにも封印されていた間の住民達の時は止まっていたようで、皆封印された時と全く変わらない姿で目覚めたのだ。だから、奏は今年でやっと15歳になれるのである。
そして、奏にもアルタイルからの妖精が契約を交わしにやってくる可能性がある――のだが、奏本人は何を願ったかもすっかり忘れ、ぼんやりと祭りの様子を眺めているのだった。
「だってもう、聞いてよ。奏ってば「明日十時には迎えに行くから」って言っておいたのに、来てみたらのんびりとまだ夢の中だったんだよ!」
紅袮が今朝の奏のことに愚痴をこぼしていると、聞いていた紫の髪の青年が苦笑を浮かべながら紅袮を宥めた。
「まあまあ、いいじゃないですか、まだ祭りは始まったばかりなんですから。浅葱、紅袮君達が来たよ」
「蘇芳。やっと揃ったか」
蘇芳は浅葱の元に駆け寄ると、辺りを見回していつの間にか人が少なくなっていることに気付いた。確かトパーズ達……所謂この星を救ってくれたクリスタルの英雄達もここに招いていたはずだ。
「あれ、他の子達は?」
「皆はしゃぎながら屋台に散らばってったぞ。ここに残ってるのはウォーターとキールだけだ」
二人のそんなやり取りを尻目に、奏はまだぼんやりと辺りを眺めていた。別に街の賑やかさに圧倒されているとかそういうわけではなく、これが普段の奏なのである。
すると、奏の傍に一匹の綺麗な蝶がひらひらと姿を現した。その蝶は人馴れしているのか、奏の手や頭や肩に何度も止まったり、また離れてひらひらと飛んだりしている。色も見たことがない、若草色と紫の二食のグラデーションで、珍しい。
奏はおもむろにその蝶を捕まえた。そしてそのまま、紅袮の元に蝶を持って近付いていく。
「紅袮」
「ん?なんだよ奏」
「とりあえずこれを、今朝の罪滅ぼしにでも」
そう言って奏は、先程捕まえた綺麗な蝶を紅袮の手のひらに乗せる。
その瞬間、二人は目も開けられない程の眩い光に包まれた。
「!?」
「な、なんだ!?」
少し離れた場所にいた浅葱と蘇芳達も、突然の光に驚愕し二人に近付いた。
どうやらこの光は、先程奏が紅袮に渡した蝶が放っているようである。すると、蝶はみるみるうちに姿を変え、やがて光が消えるとそこには蝶ではなく、一人の少年が立っていた。
若草色の髪に紫の瞳。先程の蝶の羽と同じ色をしている。
「うそ……さっきの蝶が……っ!?」
「奏!!!」
目の前で起きたことを整理する間もなく、紅袮は蝶だったその少年に急に力強く抱き締められた。
「えっちょっと待って!」
「奏!ずっと逢いたかった……!!俺、奏のこと一目見た時からずっと好きだったんだ……封印されてた間もずっと、ずっと奏をパートナーにするって決めてたから……!」
紅袮の制止も聞かず、少年は紅袮を抱きしめたまま思いの丈を吐露するが、何か様子がおかしいことに気付いたらしい。「……あれ?」と顔を上げる少年を引き剥がすと紅袮は申し訳なさそうに
「あの、どなたか存じませんけど、俺は紅袮。奏は……あっち」
と、まだ状況を整理しきれてないのか呆然としている奏の方を指差した。
瞬間、少年の顔が一気に青ざめるのが見て取れた。
「……ま……間違えた……」

「アルタイルの妖精はまず、魔力を最小限に抑える為、何らかの生き物に擬態する。俺達妖精長以外の妖精は普段は自由に妖精国間を行き来できないから、そうすることで今回の祭りの日に限り、自由にベガの中に入ることができるんだ。そして擬態を解いた直後に初めて触れた相手を番の契約の相手とし、相手の願いを叶える為に一年添い遂げる。そしてこの契約は一度結んでしまうと本人達の意思では解除できず、一年の間に想いが通じ合わなければ一年後、強制的に破棄される……と、いうものなんだが……」
「……」
「それが、馨は相手を間違えた、というわけか……」
ベガの妖精長、クレスの元にお通夜状態の少年が連れてこられたのはつい先刻のことだった。
馨、と名乗るその少年は、今年15になるアルタイルの妖精であり、この祭りのメインである番の契約を交わす為に蝶の姿に擬態してベガへやってきたのだ。
馨が番の契約を結ぼうと思っていた相手は奏だった。しかし、蝶の姿に擬態した馨を奏が紅袮に手渡してしまったばかりに、馨は勘違いをして擬態を解いた後紅袮に接触してしまった。擬態を解いた直後に触れた相手を番の契約相手とする。馨は誤って、紅袮と番の契約を結んでしまったのである。
「なんとかできませんか、クレス様……彼、すごく落ち込んでしまってて……」
蘇芳の懇願に、クレスも腕を組んで難しそうに唸った。
「なんとか、できたらいいんだが……過去にそういう事例はなかったし、俺からはどうにも……」
しかし本気で落ち込んでいる馨を放っておけないのはクレスも同じようで、暫く考えた後
「とりあえず凪に連絡を取ってみよう。向こうの方が詳しいかもしれん」
と部屋を出ていくのであった。
クレスが出ていった部屋に、馨の重いため息が響いた。その後は静寂と気まずい空気が広がり、誰もが何も言うことができず、口を閉ざしている。
(……やっぱり、事の元凶は俺なんだろうか……)
ようやく状況を整理し終えたらしい奏が一人考えを巡らせていると、いまだ俯いたままの馨に蘇芳が優しく声をかけに行く。
「ええと、馨君、でしたよね」
「え、うん……」
「よければお話、聞いてもいいですか?馨君がどこで奏君と出会ったのか……とか」
蘇芳の優しい声に応えるように、馨はぽつりぽつりと、奏を見つけた時のことを語り出すのだった。

――それは、何年も前。アルタイルがブレウスに襲撃を受ける直前の、七月七日の出来事だった

「ああ~もう面倒くさいなあ。なんで俺がこんなことやらなきゃなんないんだよ~!」
アルタイルの妖精、馨、14歳――は、この時とても機嫌が悪かった。
というのも、毎年七月七日に、14歳になる少年少女は流星に擬態してベガ国の短冊を見に行き、気に入った相手と相手の願い事を覚えてこなければいけないのだ。
番の契約……所謂恋愛要素の絡んだ行事なわけだが、14歳の馨はまだ恋愛のれの字も知らないような少年だった。
「俺だって皆とまだいっぱい祭りで遊びたかったのに……決まってないのは貴方だけですよ☆って凪がうるさいし、っていうか大体好きなやつなんてそんな簡単に見つかるわけないじゃんか……」
馨は孤児だった。アルタイルの妖精長である凪に拾われ、凪の元で育てられたのだが、その凪に「いいから行け」と半ば強制的にアルタイルから出され、馨は現在ベガの上空を漂っているのである。
「うう、凪怒らせたら怖いしな……仕方ない、生きるためにはやるしかないか、なんか適当に……ん?」
ふと下を見下ろすと、短冊を飾り付けるたくさんの笹の近くに一人の少年が立っているのに馨は気付いた。周りには少年以外誰もいない。そろそろ祭りも終わる。きっと彼も、自分のように誰かに言われて渋々ここへやってきたのだろう。少し親近感が湧いた。
「さっきからずっと突っ立ってるけど、もう祭りも終わるし……大丈夫なのか?って俺も人のこと言える状況じゃないんだけど」
馨が身を乗り出して少しだけ近付こうとすると、不意に少年が空を見上げ、馨と目が合った。
「え……!?」
自分は今、流星に擬態しているから少年には自分の姿はただの光にしか見えないはずだ。
だが、少年はまるでそこにいる馨が見えているかのように、しっかりと馨の目を見つめているのである。
「え、どういうことだ、俺、ちゃんと擬態できてるよな、っていうか……」
目が合った時に改めて確認できた少年の容貌は、着ている服から男だと判断できていたものの、まるで少女のように美しかったのだ。
「待って、めちゃくちゃ可愛い……あ、何か書いてる」
少年は短冊に素早く何かを書くと、それをすぐ近くの笹に飾り付けた。
「奏、できたなら早く来なさい」
「はーい」
母親の声だろうか、奏、と呼ばれた少年は、声のする方へさっさと走り去っていってしまった。
残された馨は、恐る恐る短冊の元に近付く。
「願い事……何、書いたんだろ」
高鳴る胸を抑えながらゆっくりと、奏がつけた短冊を覗き込む。そこには……

『あの流星のような、素敵な人に出逢えますように』

「!!」
あの場にいたのは、自分だけだったはずだ。
もしかして、奏には本当に自分のすがたが見えていたりしたんだろうか。
つい先程まで恋の事なんて何もわからなかった馨の頭の中は、既に奏のことでいっぱいになってしまっていた。
「奏……」

「成程、それで、馨君は奏君に一目惚れをしてしまったわけなんですねえ」
馨の話を聞いた蘇芳は、ほう、とため息をついた。まるで青春の一ページのような甘酸っぱい出逢いの話だった。
「俺……俺、あの時本当に奏のことを好きだなって思って……封印されてる間もずっと、奏のこと忘れなかったんだ……だから……っ!」
一年越し、いや、封印されていた間を考えると数年後しの想いが、やっと奏に届けられるはずだったのだ。それがこのような結果になってしまったわけで、それは落ち込みもするだろう、とその場にいる奏以外の全員は馨に同情した。
当の奏はというと、また何か考え事に耽っていたようで、唐突に
「あ、もしかしてあれかな」
と声をあげた。
「……あれ?」

そう、それはまだ奏が14歳だった何年も前のことだ。
「願い事か……」
母親に手渡された短冊と筆を持ち、奏は笹の前に立ち尽くしていた。
「絶対に書かなきゃいけないって言われたけど、別にないんだよね……」
奏には欲というものがなかった。幼い頃から森の奥でひっそりと育てられてきたが、奏自身、これといって不自由していることは全くなかった。父の書斎にある本は面白いし、家の外に出れば動物や植物達が話しかけてきてくれる。両親もいるし。ご飯もおいしい。眠るところもちゃんとある。それだけで、奏は十分だったのだ。
「うさぎ飼いたい……かな。でも森にたくさん住んでるからいつでも会えるし。世界征服……とか?いやでも別にそれが叶っても全然嬉しくないな……うーん」
色々考えはするが、どれも「これこそが自分の欲しかったものだ!」というものが一つも思いつかず、奏は途方に暮れていた。不意に奏が空を見上げると、蒼い夜空に一筋の流れ星が光るのが見えた。そこで奏は何かを思いつく。
「そういえば、さっき流れ星の願い事書いてる人がいたっけ。ああ、これだ」
皆一体どんな願い事を書いているのか参考にしようと思い、少しだけ覗いた短冊の中にそれはあった。とても素敵な願い事だと思っていたのだ。
「他に思いつかないし、この人と同じのでも書いておくか」
欲を持たない男、奏。こうして奏の短冊は、アルタイルのもとへ捧げられたのである。

「……と、いうことがあったような気がする」
(まじかーーーーーーーーーーーーーーーー)
奏が思い出した話を聞いて、馨は自分の頭にずっしりと大岩が乗っているような感覚を覚えた。ここまでくると、最早嫌な予感しかしない。
「ってことはだ、やっぱり奏にはあの時、俺のことはただの流星にしか見えてなかったってこと?」
「うん」
「ということは俺が一人で勘違いして、奏のこと好きになった感じ……?」
「うん」
くらりと、目の前の景色が回るのを感じた。
契約は失敗して、しかも自分の初恋は奏の適当な行動が招いた事故のようなものだったわけで、奏にはそういう気持ちが微塵もなかったということだ。所謂、脈ナシというもの。
ああ、なんか、全てがもうどうでもいいや……
「ふ、ふ、ふ、ふ……」
「凪と連絡取って来たぞ……って、どうした、馨」
「俺の初恋返せーーーーーーーーーー!!!」
「うわーーーーーーーーー!?」
突然部屋の窓に向かって走り出した馨を、事情を知らないクレスは慌てて引き留めようとする。
彼は間違いなくこの窓から飛び降りるつもりだ。
「か、馨を止めろ!!」
「大丈夫ですよクレス様、ここは一階ですから」
「あ、そうか」
蘇芳の一声で思わず手を離してしまったクレスだが、かといって離していいわけでもなかった。
ベガは星の大半が特殊な泉で占めていて、この宮殿の外も勿論、堀のように泉に囲まれているのである。
部屋の外に激しい水音が響き渡った――。

「ええと、ほんとすまん、馨……とりあえず凪には連絡したから、事情を凪に説明してそれからなんとかしよう」
泉に落ちた馨はすぐに助け出されたものの勿論びしょ濡れになり、彼は余計に機嫌を損ねてしまった。
先程皆が聞かされた馨と奏の話を改めて聞いたクレスも、流石に下手に声をかけることができなくなってしまっていた。あまりにも気の毒な内容であったからだ。
しかし、この空気はとにかく重い。なんとかしてあげたいと思う一心で、クレスは一つ提案をした。
「そうだ、凪が来るまで二人で外に出て話でもしたらどうだ?まだ祭りもやってることだし……」
「嫌だ」
クレスの提案を、馨はぴしゃりと拒否した。馨の髪をタオルで拭いてあげていた蘇芳は嫌な予感を感じて慌てて止めようとしたが、それよりも先に馨の口からは次々と、先程からずっと溜め込んでいたのであろう言葉が溢れてくる。
「もういいよ、間違えたなら仕方ないし。紅袮にも悪いから俺、帰る」
「馨……」
「それに……俺のこと、騙した……奏なんか嫌いだ」
馨のその一言で、その場の空気が凍りついた。それは奏にとってとても恐ろしい一言だということを皆知っているからだ。
「馨!!」
思わず声を荒げてしまったクレスだが、そんなことは気にもとめず馨はそっぽを向く。
奏は馨の言葉を聞いても、何も言わなかった。何も言わず、ただそこに立って馨を見ていた。どんな表情をしていたのか……馨には奏の顔を見ることができなかった。
「か、奏、外出ようか」
紅袮が奏に声をかけるが、奏は首を横に振り、紅袮の誘いを断る。
「いいよ、一人で行ってくるから。紅袮は馨の傍にいてあげて」
そしてそのまま静かに、奏は部屋を出ていった。
「馨、どうしてあんなことを……」
「だって!奏のやつ、人の気持ちも知らないで……!」
クレスは大きくため息をついた。馨の気持ちも分からないでもないが、これで二人の関係は大きく拗れてしまった。番の相手を間違えてしまったという馨の問題をどうにかしてやりたいクレスではあったが、これでは修復は最早絶望的だろう。
そんなことを考えていると、何やら騒がしい足音が廊下から聞こえてくるのに気付いた。
これは、この騒がしい足音はまさか……と身構える間もなく
「クーレースー!!もーっ私に会いたいからって自分から連絡してくるなんて、嬉しいことしてくれるじゃないですか!!」
「ギャーッ」
勢い良く部屋に飛び込んできた凪によって、クレスはその場に押し倒されてしまった。突然の訪問者に馨達はぽかんと立ち尽くすしかできなくなっている。
「……凪……」
「おや、馨。目的の未来の可愛いお嫁さんはどなたですか?」
「凪、なんでもいいから降りてくれ、重い……っていうかお前、人の話聞いてなかったのか」
「クレスに会えるのが嬉しくてつい☆というのは冗談で、ちゃんと聞いてましたよ」
凪はクレスの上から降りると、ええと、確か……と呟いてから紅袮を見、
「紅袮君と間違えて契約を結んでしまった、という話でしたよね」
と続けた。クレスは頭をさすりながら頷く。
「過去にそういった事例はなかっただろう。だがアルタイルにはそれを何とかする方法があるんじゃないかと思ってお前を呼んだんだが……」
「方法……ですか。まあ、ないわけではないですよ。ですが……」
凪は部屋を見回す。この部屋の中に、奏はいない。クレスの話によると奏と紅袮を間違えたということであったから、この場に奏がいないということは、きっと何かがあったのだろうと凪はすぐに察した。
「今の貴方達にとっては、もしかしたら……難しいかもしれません」
「え……」
方法がないわけではない、と聞いた馨は一瞬希望の光を見付けたように表情を明るくさせていたが、続いた凪の言葉で、馨は先程自分が奏に言ってしまった言葉を思い出し、胸がズキリと痛むのを感じた。
「蘇芳、奏君がここにいない理由……私に話してくれませんか」
蘇芳は凪がここに来るまでに起きたことを簡潔に説明した。馨が奏に惹かれたきっかけと、奏がその願い事を書いた理由。それからそのことが原因で、二人の仲が拗れてしまったこと。奏は馨の一言に対して何も言わず、外へ出て行ってしまったこと。
「……成程……それで、馨の勘違いで奏君を傷つけてしまったわけなんですね」
「うーむ……普段は何を言われてもピンピンしてる鋼鉄の心を持っている奏だが、こればっかりは効いてるかもしれんな……」
凪とクレスが次々に唸るのを見て、馨の胸中はひどくざわついていく。ひょっとしたら、自分は本当に取り返しのつかないことを奏に言ってしまったのではないかと。
「な、なあ、凪……俺、奏に……」
「……いいですか、馨。私達は以前から奏君のことを知ってるから言えることですけど……あの子は昔から、嫌われるのを極端に恐れるんです」
馨は一瞬のうちに青ざめた。
あの時は頭に血が上っていて、思いついた言葉が全部、そのまま口に出てしまっていた。本当は思ってもいないことまで。
「馨は「騙した」と言っていますけど、奏本人に悪気は一切ないんですよね」
「ああ……あれが奏の性格だからな、仕方ない」
初めて見た時に少しだけ見えた……奏の、綺麗な紫の瞳の中にある陰。
無表情で何を考えているかわからなくて、実際に話をしてみても反応は薄く、まるで人形のようだと思っていた。それでも、自分があの一言を言い放った時、たしかに奏の中の心が一瞬悲鳴を上げたような気がしたのだ。
それを、自分は聞こえないふりをしてしまった。
「……俺……俺、奏に謝ってくる!!」
馨はそう叫ぶと、そのままの勢いで部屋を出ていってしまった。
「……やれやれ、なんだかんだでやっぱり好きなんじゃないか」
馨の後ろ姿を見送ったクレスは、微笑みながらため息をついた。どうやらこの問題は無事に解決するようである。
馨が勘違いで奏を好きになったのだとしても、奏に心を奪われてしまったというその事実は偽りでもなんでもない。馨は確かに、奏のことが好きなのだ。
凪もクレスと同じように馨が飛び出していった扉を見つめたまま、クレスの言葉に頷いて続けた。
「こうなればきっと、馨なら大丈夫です。後は見守りましょう、二人がこれから、歩み寄っていけるかを……」

祭り会場のたくさんの人波を掻き分けて、馨は奏を探していた。
本当に自分は馬鹿だ……と何度も心の中で自分を責めながら、必死に奏の名を呼んだ。

俺は本当に馬鹿だ……初めて誰かを好きになって、舞い上がってしまって、あんな願い事を書いてくれたなら、きっと奏も俺のことを受け容れてくれる、なんて自惚れていたんだ。
でもそれは俺の勘違いで、奏にとって俺のことは初めて見る人で……俺は奏の気持ちを、何一つ考えてやれてなかったんだ。

奏を探し、街中を走りながら脳内ではぐるぐると後悔の念が渦巻く。

――奏なんか嫌いだ――

「……っ!」
自分が奏に言い放ってしまった、あの言葉。
奏がその言葉に恐怖を抱いている。知らなかった、では済まされないだろう。本来あのような言葉は、誰が言われても傷つく言葉だからだ。
「奏……」
奏を見つけたら、真っ先に傷付けてしまったことを謝ろう。もう、俺のことは見てもらえないかもしれないけど、それでも……――
人がよりいっそう集まっている場所にたどり着いた。そこは街の中心部にある大きな広場で、この広場にはベガ国の力の源であるクリスタルが年に一度、天の川の光を受け力を増幅させるために宮殿からこの場所に置かれるのだという。そのクリスタルの前に、見覚えのあるダークブルーの髪の少年の姿を見つけた。
「奏……!」

「紫の髪のお兄さん……?」
「うん、結構綺麗な顔してるから目立つと思うんだけど……見なかった?今年は異様に人が多くてうっかりはぐれちゃって……」
ぼんやりと巨大なクリスタルを眺めていた奏は、途中、鴫と名乗る青年に捕まっていた。知人とはぐれたのだという。
人の顔や特徴を覚えるのは苦手な奏ではあるが、困っている人を見るとつい助けたくなってしまう性分であり、とりあえず考えを巡らせてみる。
「んーー……」
少し考え、紫の髪と綺麗な顔、というキーワードで、見知った人物の顔が脳裏に浮かび上がった。
「(もしかして蘇芳のことかな……)多分宮殿……に?」
考える為に俯いていた顔を上げると、目の前に一瞬異様な光景が映った。
何故か、鴫の頭に飛び蹴りを食らわせ登場する馨の姿。
目の前で起きたそのワンシーンの状況が理解できず奏が固まっていると、鴫は悲鳴を上げながら華麗に吹っ飛んでいき、遠くの泉に突っ込んだらしい水音が聞こえた。
馨は綺麗にその場に着地をして息をつくと、すぐに奏に向き直り
「奏、大丈夫か!?」
と奏を心配するのだった。きっと奏が知らない男にナンパされているとでも思ったのだろう。
「俺は大丈夫だけど……」
「いや、大丈夫じゃないよな……ほんと、ごめん!!あんな心にもないこと、奏に言って奏を傷付けて……あ、あれは嘘だからな!そ、そそそ、その……俺、奏のこと大好きだから!!!」
馨に手を握られ、奏はきょとんとした顔で馨の言葉を聞いていた。それからゆっくりと
「……うん」
と頷いて返した。それまでの間と返ってきた反応の薄さに馨はまた頭を抱えるのだが、奏の意識は既に、馨によってふっ飛ばされてしまった鴫の方へ剥いていた。
「鴫さん、大丈夫かな」
「奏!まだ怒ってるのか……!?」ごめん、ほんとごめんってば、何でもするから……!!」
これが奏という男なのだ、ということに馨が慣れるのには、まだまだ時間がかかるようである。

「というわけで、暫く紅袮のところに厄介になるから」
「……は?」
馨に高々と宣言され、星は思わず訊き返してしまった。
というのも、先刻の誤契約問題。凪が言うには、一年の間に奏と想いが通じ合うことができれば、紅袮との誤契約は解消、正式に奏と番の契約を結び直すことができる、ということであった。
更に一度番の契約を結んだ者同士は基本、一定以上の距離を離れることができない。故に、馨は紅袮の元に一年間滞在することになったのである。
「それってつまり、同居ってこと?」
「同居だな。まあ紅袮はクレスのとこで暮らしてるから、実際にはクレスのとこで世話になるわけだけど」
「~~~~~~~~~ゆ、許さん!そんな羨ましいこと、俺が許さん!!!」
「!?なんで星が怒るんだよ!?」

こうして馨は(一応?)奏と仲直りをし、正しく奏と番の契約を結ぶための、それから奏を振り向かせるための、努力の日々が幕を開けるのであった。

「……響、お前なんでここにいんの?」
「あ、鴫。はぐれたらクレスのとこで落ち合うって言ってなかったっけ?っていうかどうしたの、そんなびしょびしょで」

第一章【もう一つの御伽草子】 完